自由という、束縛
「みんなの夢はなんですか??」
昔からこういうことを語る大人はたくさんいた。
「いいよなー若いって。なんでもできるじゃん。」
こういう反応が困ることを言うおっさんもいた。
今僕は27歳になった。あの時の大人は、あの時のおっさんは、まだ同じ言葉をかけてくれるだろうか。
昔から何かに熱くなるということがなかった。
そりゃ勝負事で負けたらイラッとするし、勝ちたいとは思うけど。自分の核になるようなかっこいいものはできなかった。
僕にとって夢は、見るものですらなかった。
なんとなく日々を楽しんでたら進学して、みんなで勉強して、就活して、1人になった。
そのなんとなくはまだここにある。
このままなんとなくおっさんになって、もしかしたら今の彼女と結婚して、子どもができるんだろう。
その予測を、何て言うんだろう。
夢?
生きる目的?
将来像?
そんな大それたもんじゃない。ただ今の延長に、明日も、来年も、10年後も、いるだけ。
テレビやSNSでは、
好きなことを突き詰めて生きていこうとか、カッコいい謳い文句が溢れてる。その熱は、どこから湧いてくるんだろう。今高校生に戻っても、僕はきっと今のまま。変わらない。変われない。
きっと、こんな言葉を並べてる人間に変わる力はない。
今日もツイッターで有名なブロガーがつぶやいてる。
「自由に生きれる時代!行動したものが勝つ!」
嫌になる。浴びるように見たそんな言葉。そんな言葉が浴びるほどタイムラインに流れてくる自分。
こういう熱がない人間に、自由にしろっていうのは拷問と同じだ。
答えが欲しいんだよ。考えさすなよ。
グループワークとか考える時間なんていらねえから、数学の授業みたいにさっさと解説してくれ。数字としての正解をくれ。
携帯が光る。メールの受信。
今時メールを送ってくるのは友だちなんかじゃない。
「起業セミナー ご予約の確認」
唇がかすかに動く。
メールは、開かない。
開かなくたっていい。
そっとお気に入りのフォルダーに移す。
「夢はなんですか??」「なんでもできるじゃん。」
きっと僕は、死ぬまでこの言葉と戦っていく。
正夢
日曜日の朝、知ってしまった。おれは死ぬ。
いや哲学的な、人類皆死ぬ的なことを言ってるわけじゃない。近々、それも半年以内に。
重い病魔に侵されてるわけじゃない。そんな悲劇なヒーローにもなれない。
でも見てしまったんだ。
暴走する車に轢かれる自分を。死を悟る自分を。そして、フロントガラスに映る制服姿の自分を。
まだ夏の暑さが残る9月の終わり。夢の中で寒そうに下を向いて歩いていた自分。半年というのは、希望的観測かもしれない。
席が隣の女子が消しゴムを落とした。おれの方に転がってきたから、拾って彼女の少し骨ばった手のひらに差し出す。
「ありがとう。」
「うん。」
あ、、。これか。この景色。おれが下から彼女を見上げる、可愛いのか可愛くないのか分からない彼女の前髪がかかった顔。あの夢だ。
誰もが経験したことがあると思う。こんな些細なこと。この後恋愛にも、友だちにも発展しないのがこの正夢の強みだった。些細なこと過ぎて、一瞬はっ!とするだけ。少しのワクワクを感じて、また日常に戻る。
おれは夢をめったに見ない。
その代わり、見たものはこんな些細なことでも覚えてる。脈絡もない一場面。それは全て現実になった。日常の一コマだから、別になんとも思わなかった。
でも見てしまったんだ。
昔映画で、病気にかかって余命3ヶ月の女の子がこんなようなことを言ってた。
「君だって明日交通事故で死ぬかもしれない。私も君も、1日の価値は同じだよ。」と。
いや。違うだろ。
もうおれの1日の価値は変わった。ありふれた日常を楽しむ?死ぬまで受験勉強を頑張る?そんなアホな!死ぬ直前に受験勉強で寝不足になってるなんて、前世の自分でも笑えない。
じゃあどうすんだ?
そもそも制服で轢かれたんだから、制服を着なかったらいいのか?
ん?学校を辞める、、?いやそれはないだろう。辞めたってすることないし、親になんて言うんだ。白々しい目で周りから見られる。
でもそうしないと死ぬ。たぶん。いや、割とたぶん。
明日担任に言う。それしかない。理由は?なにも思い浮かばない。とにかく今日のうちに考えよう。最近は高校行かないやつも、大学中退するやつも、世間でたいして叩かれなくなったし。高校三年で辞めるのは聞いたことないけど、ネットを漁ればそれらしい理由なんてすぐ見つかる。
辞めてどうする。。いやでも学校なんて楽しいと思ったことはほとんどない。ぼーっと授業受けて、部活を引退してからは特に誰とも喋らず帰ってた。受験勉強なんて、半分以上の時間は頭のなかで女の子にモテる自分を妄想してたら終わった。
せっかくだし旅とか?日本一周とか?
考えたら楽しそうだ。高校辞めて日本一周なんて。せっかくだし自転車で行こう。道中バイトして、何年かかったっていい。考えれば考えるほど、現実味を帯びてくるような気がする。
夜はソワソワして眠れなかった。
頭の中は旅をする自分。地域の新聞に取り上げられるところまで妄想していた。
次の日の朝は、曇り空だった。いつになく涼しい。
辞めることを担任に言おうと思うと、なんだか緊張して前を向いて歩くことができなかった。学校までは歩いていける。身体に染み付いた道は、下を向いてても迷うことはない。
悲鳴。
ん?
タイヤの擦れる音。
あ、。そうか。
寒そうに下を向いてる?どこが。
夢の中で半袖のシャツを着ていたこと、今思い出した。
教師とは、点数をつける生き物
2020年、学習指導要領が改定される。
教師の友だちとしゃべっていると、小学校では英語、プログラミング、道徳が教科化されるらしい。
まあツッコミたいところもあるし、それは教員にとっても同じだろうけど、、
何より違和感を感じるのは、道徳。
教科化ということは、点数をつけるということだ。
君の道徳心は何点だよ。極論こうなる。(もちろんここまできちんと点数化はしないと思うけど。教師が一言二言評価的なコメントをつける程度かな?)
僕からすれば、
まあ学生に対してはある程度の方向づけは必要だと思う。でも教科化というのはやさしさの押し売りっていうか、強要だよなぁ。
あと平生点というのもよく分からない。授業中寝てたら点数下げるってなんなんだ。
もしそうした評価をするなら教師は宣言してほしい。
私の評価は主観的なものであって、社会の一般ではありません。学校で評価が低くても、自分の得意なことで学外に出て評価を得ることもできます。
こう言ってスタートしてくれ。
教師が自信を持って評価できるのは、点数化されるテストだけだ。(それももちろん、学内に限る)
あとはただの人間であり、人格者ではない。
というのが僕の意見。
中学生ならまだしも、高校生以上になれば教師と生徒が縦の関係になっているというのもおかしい気はする。横とはいかないまでも、斜めの関係が望ましいんじゃないかな。
AIにとって代わられて、教師がサポート役に回るというのはかなり先の話だと思う。
でもその前に、生徒との斜めの関係。自分はあくまで1人の人生の先輩。専門の教科のテストは作れる。それぐらいの意識でいいんじゃないか。
責任を負いすぎるのは、教師にとっても生徒にとっても悪循環でしかない。
威厳を保つより、どれだけ気軽に話せるかのほうが大事だと思う。
裸
「せんせぇー、中間の範囲ってどこまでだっけー?」
私の授業の最後のほうは、だいたいクラスは賑やかだ。賑やかというより、騒がしいが正しいか。
「一回言ったけどなー、58ページね。」
いっつも家庭科の授業は早く終わって、残りの時間は生徒の雑談タイムになる。
教師になって8年。
なんで教師になったんだっけ。
生徒は好きだ。可愛いし、愛おしい。
でも私は、自分が教師だという感覚がどうしても持てない。子どもの人格を形成したり、生きる力を養う。そんな大それたこと、考えることができない。
親が教師だったから、なんとなく教育学部に入った。そしたら周りはみんな教師になりたい人ばっかりで、いつのまにか自分も教師になるんだろうって勝手に思ってた。
「若井先生、相変わらずですね。」
私より23歳上の武田先生。目は細長く黒縁眼鏡。白髪混じりのショートカット。いつも地味な暗めなパンツスーツ。いかにも昭和の先生という感じ。
「私ぐらいの歳になったら、生徒に舐められて収拾つかなくなっちゃうからねぇ。」
分かってる。あなたが教師であること。私が教師でないこと。でも、なんだろう。
私は生徒を導いて、クラスをまとめるリーダーになって。そんな偉くないんだ。そんな、カッコよくないんだ。
昔から人前に出ることを避けてきた。
勉強も、運動も中の下。たぶん昔の担任からも覚えられてない。
大学に行くときも、祖母に、女として最低限と叩き込まれた家庭力を使ってなんとか家庭学科に入った。
なんの取り柄もない。なんの取り柄も。
そして自分の教える家庭科が、これから先今の子どもたちに絶対必要なこととも思えない。もう教科にすら自信がない。
ただ、生徒が好き。生徒に好かれたい。不純だ。私は不純な動機で仕事を続けてる。
「若井先生、ちょっといいですか⁇」
放課後すぐ、三年生の吉武さんに声をかけられた。なんだか昔の自分のように冴えない生徒。可もなく不可もない見た目というか(生徒のビジュアルを評価するなんて、と思うけど、これはよくしてしまう。)、授業中も目立たないし、あんまりしゃべったことないなー。
「いいよいいよ!どしたの?」
「そろそろ進路決めなきゃなんだけど、なんか決めれないんだー。」
それを私に聞くのか、、、この私に、、
「難しいよねー進路は。私だってまだモヤモヤしてるよ(笑)」
あっ。
「え!先生今も悩んでるの!?」
彼女のまっすぐな黒い目に、何を言っても許されるような気がする。
「うーん悩んでるというかさ。自分には大してやりたいことも、取り柄もないから。なにが正しいとかなにをしたいとか、答えがわからないっていうか。それは働き出してからもあるし、なくなることはない、かな。」
あー。
言ってしまった。
弱い。
私は教師じゃない。これじゃどっちが相談してんだか、
「へぇー、なんか意外。私も先生見てて教師にちょっと憧れてるんだ。」
恥ずかしそうに笑った彼女は、制服を着た彼女は、なによりも美しく見える。なのに。
なんで。なんで私になんか。
私のほうがきっとあなたに憧れてる。若くて、進路に迷えて、私に懐いてくれるあなたに。
私は、
私はどうなりたいんだ。
教師が教師という生き物じゃないと気づいたのはいつだったっけ。小学生のときは先生は先生だった。それ以外の何者でもない。従うべきリーダー。
でも次第に教師にも人間性が垣間見えた。好きな先生もいれば、嫌いな先生もできた。それは理屈じゃなくて、感覚的に。
私は、あなたにとって好きな先生になれたんだろう。いや、好きな人間に。
あなたが憧れたのは、教師の私なのか、私という人間なのか。
私は、子どもの進路に影響を与えていたんだ。こんな私が。
笑えよ、私。笑えよ。
自分が好きな生徒に好かれたんだから。
人生相談してくれたんだから。
笑え。泣くな。
なんの涙か分からない。
でも、何かが流れ落ちる。
自分の想いか、過去の自分か、
誰かの人生を決めるなんて、私にはできない。
いや、武田先生にだってできやしない。決めてあげたって、私みたいにずーっと悩んで生きている人だっている。そんな重い責任、誰も取れないんだ。
教師になれない。なれっこない。
でも、私は、生徒にとって、何かにはなってしまっている。私にとっての生徒のように。
先生と生徒じゃない。
私と生徒。
私と吉武さん。
そうやって、生きていくんだ。そうやって、繋がっていくんだ。
モノクロの世界
僕は35歳になった。
家族も、恋人もいない。
頭も禿げた。
年収は人並みにもらって、福利厚生は良い。
そんなありきたりなおじさんになった。
今の僕を見て、君はどう思うだろうか。
東京に来て13年。
就職と同時に上京して、どんな女遊びをしてやろうかって思ってた。
でも元からの性格通り、1人を好み、たまに彼女を作っては、淡々と生きてきた。
仕事は楽しくはない。苦しくもない。辛くもない。そんな日常を過ごしてると、心はもう動かなくなった。
子どもの頃は、進学して身分が変わるとすんなり溶け込めた。心がウキウキした。
でも社会人は、違う。
産道を上手く通れず、うまく産声を上げることができなかった。学生のときバスケット部で感じた楽しさや悔しさ、苦しさ。バスケットをしているという自信。運動部によりなんとなく感じた自分のヒエラルキーの高さ。不安はあった。仕事がバスケットに代わるのか。
誰といても、何をしても、もう心は動いてくれない。
唇が真っ赤でミニスカートを履いた醜女や、ギターを背負って真っ黒な長すぎるシャツを着たバンドマンを見ても。
今の僕を見て、君はどう思うだろうか。
君とはしゃべったことはない。
高校の3年間、同じクラスになることはなかった。他のクラスの子に声をかけるほど、僕はキラキラしていなかった。
バスケット部というヒエラルキーさえあれば、キラキラしていなくても生きていけた。
静かにしていれば、僕は僕でいれた。
君を見ることができた。君は、鮮やかだった。
あの時の僕を見て、君はどう思っていただろうか。
もう今君を見ても、心は動かないだろう。
君の色は、もう僕には届かない。
みんな結婚して、子どもができた。色を家族に分け与えて、鮮やかな色に囲まれて過ごしている。君も。
僕の色は、もう、僕のために枯れ果ててしまったんだ。
モノクロの僕は、誰のために生きれるんだろう。
仕事が僕の色を奪ったのか。違う。自分で色を捨ててしまった。その場に。
今の僕を見て、君はどう思うだろうか。
子どもの頃、どんな大人になりたいかなんてなかった。
今の自分が大人に繋がっていて、気がつけば働き出して、家族を持つんだと思ってた。
違った。バスケットが、勝手に僕を繋げ続けててくれた。感情を生んで、その感情が僕を繋ぎ合わせてくれていた。
誰もくれない感情を、僕は作り出すことができなかった。
モノクロの世界。
この世界ではもう、君を見ることはできない。
今の僕を見て、君はどう思うだろうか。
大企業的なスポーツのパワハラ
最近も体操。18歳の会見。なんだこれ、、
この問題が事実かそうでないかは置いといて、これはかなりしょーもない問題というか、大企業の役員的な老害でしかない。
スポーツは最近変わり出している。
というか原点回帰というか。
視点を変えて、観る人にフォーカスしてみんなが参加できるような試み。ただテレビ観戦するだけでなく、これからよりバーチャルな技術で観る人の参加意欲はどんどん高まっていくはず。
誰もが楽しめる工夫という意味では、スポーツ本来の形を取り戻そうとしている。
技術の進歩で全ての産業がそうやって回っていくと思う。
少し抽象的だけど、
個人に合ったアイテムなんかもそう。大量生産というより、そのほうが本来の形だし。物が流通し出したときは一つ一つ違う形が当たり前だった。そういう原点回帰的な流れが全てにおいて起こってる。
技術の進歩による革新のようで、より簡単に本来の形を生み出すことができるようにしているだけ。
しょーもない問題というのは周知の事実だけど、
便利さや権威・金拝主義的な近代の恩恵を、受けに受けた人たちの悪あがきというか。
スポーツは特にそう。
指導者のマスターベーションになったらもったいない。ただ現役選手として名を馳せたから指導者に転身したような人。指導者と選手は見てるものは同じでも、競技の楽しみ方や関わり方は違う。当たり前のスポーツの存在意義というか、成り立ちを理解しないとこれからの時代についていけないと思う。
1ヶ月でオンラインサロンを辞めてしまう
さて、、
タイトルの通り。情けない、、、
オンラインサロンに興味本意で参加してみた結果、1ヶ月弱で退会いたしました、、
理由はいくつかある。
まずは、なかなか参加できないということ。
自分を変えたいとか、組織になにか貢献したい場合、かなりの意欲を持って参加したり発信したりしていかないとキツイ。
なんか自分の幅を広げたいなぁ、とか僕みたいに中途半端な気持ちだと、かなり費用対効果が悪い。笑
正直運営者の意見は面白いし、知識が豊富でかなり勉強になる。
でもそういう運営者の考えに触れる場はリアルでなくても今はごまんとあるし、サロンに入っていなくてもリアルで聞ける場もある。
サロンに入った明確な目標がないなら、自分でなんかしたほうがいいのかなぁ、と。
もう一つはサロンの目的。
これは僕の完全に知識不足だ!!
そのサロンの大きな流れは、自分たちでなにかするというより、その運営者の目的を達成する、そのためのサポートという感じだった。
確かに魅力ある人物なので、その人の目的に沿ってサポートしたり精力的に動くことで身につくことはたくさんあると思う。
でもなんていうか、、、
会社を離れても人のために働くというのはかなり。もうかなりその人が好きじゃないと無理。あるいはその人のために動くことが自分のためになることへの圧倒的な信頼というか。
いかんせん、
まじリスペクトしてる感。あなたの意見がほんとに聞きたい感。が出ている場の雰囲気に一歩引いてしまった、、、
僕の悪いところがでた、
ということで、
僕は辞めてしまいました。特に恩恵を受ける前に、、
オンラインサロンはやめとけとかそんな事ではなく、
かなり精力的に動けて、運営者に絶対の信頼がある人。こういう人じゃないと難しいのかなぁと思う。
サロンに入ろうと迷っている人はご参加までに。