公共教育機関の形骸化
1回目の記事にも書かせていただきましたが、現在は多様性が求められる時代です。
以前会社でもLGBT(性的マイノリティ)についての研修を受けさせていただき、その多様性はビジネスだけでなく、性や生活などあらゆる面で必須となっています。
そして同様に1回目の記事で、それに伴い教育が変わるとも書きました。どのように変わるのかという展望を、少し書いてみようと思います。
今の高等学校までの教育は、公平性・平等性が重視されています。それは、多様性を求める時代とは逆光しているように見えます。同じ教科を、同じ場所で、満遍なく全てできるように教育されていきます。
ただこれは、とても大事なことでもあります。自分と違う周りから多様性を吸収することができますし、各教科を学ぶことは論理性や思考力の基礎になります。だからこそ簡単に、教育をより専門化するべきというのは難しく、それは大学で行えばいいことなのかもしれません。
しかし、大学だけで専門性を学ぶには難しさがあります。公平性・平等性が担保された集団から、いきなり自由に専門を選択するというのが現状だからです。多様性と専門性が求められる時代では、徐々に物事を掘り下げて考える年代が早くなっていくと思います。
早くなるといっても、高等学校入学時に専門分野を決めるのでは早過ぎる。それはあまりにかわいそうです。そうなると、高校2年、3年性あたりからになるでしょうが、現状の学習指導要領を大幅変更するとは思えないので、高等学校で専門性を学ぶというのは難しいでしょう。
ではどこで学ぶのか。それは、学校外です。今は高校生の習い事などは、ほとんどが塾などの学業に関することだと思います。しかしこれからはそこに労力を割いても仕方がない。均質性は求められないからです。そういった内容に関しては機械が圧倒的に強い。論理性や思考力を養うことができれば、今の学業に対して圧倒的に深い教養がなくとも問題はないと僕は考えます。
そしてそれに先立って大学入試が変わります。現状の5教科の試験ではなく、その人個人を評価できるAO入試などがメインになるのではないでしょうか。力のある大学は、こうやって人材を集めていくと思います。
そうなると、いよいよ5教科を極めることは無意味になる。(現在の意義はほとんど大学入試のためなので)
高等学校での勉強は聞き流して(友達との交流がメインになるかと)、論理性・思考力の基礎を身につけた生徒は学外で多様性・専門性を高めることが重要になる。学校は教育機関ではなくなります。学校の意義は、人間性を養うという言葉に集約されるかもしれません。(ただそのあたりも教育を変えなければいけないと思います)
こうして、公共教育機関は形だけになるのではないでしょうか。
またLGBT研修を受けて思ったのですが、LGBTの子どもたちが通う高等学校などもできるかもしれません。全体の7.6パーセントが性的マイノリティと言われ、性の認識の部分でも多様性が求められる時代になりました。学業だけでなく、子どものターゲットにより学校も変化していくでしょう。学ぶ場というより、子どもにとってより心地の良い集団に属することが求められるようになります。
社会は最近大きく変わってきています。
そしてそれに対応するために教育も変わっていくはずです。大学が変わり、大学入試が変わり、高等学校も影響を受けます。(中学校までは各教科満遍なく学ぶことが大事だと思います)
高等学校が形骸化してしまっては、僕たちが税金を払うことで成り立つ教育費の無償化も意味がなくなってしまいます。
子どもたちにうまく投資をするために、教育機関は目指すべき姿を明確化していく必要があると思います。