なにを信じるかの時代へ
最近では目に見えない個人の情報が企業を支えています。それを守るためにEUでは個人情報保護の新たな規制が設けられようとしています。
お金も仮想通貨へと変わり、実際に体験しなくともVRで仮想体験ができる時代になりました。
見えないものが、僕たちの生活を支えている時代です。
さらに進めば、現実を生きなくとも、生きていける時代になるかもしれません。
病気で寝たきりになっても、仮想体験を味わい続けることで自分が病気であるということも忘れてしまう。学校で友達ができないという人は、仮想体験のなかでたくさんの友達と話し、あそび、触れ合うことができる。
目に見えるもの・見えないもの、触れるもの・触れないもの、そのような境界線がなくなり、欲しいものは自分の中にインプットできるようになるのではないでしょうか。
そうなると次第にどちらが現実かわからなくなります。
現実を生きるか、仮想世界を生きるかはその人次第であり、もはやどちらがどちらかという定義はできなくなるかもしれません。(これは少し行き過ぎた話かもしれませんが、、)
そこで重要なのはもはや権威でも、お金でも、情報でも、愛でもないでしょう。なにもなくても、全てを手にできる。(もちろんその2つの世界を手に入れるためにはお金が必要かもしれません)
求められるのは、ただ信じることだけ。
自分にとってなにが重要か、なにが本当の世界なのか。信じたものだけを手に入れることができます。
(パートナーがいなくとも問題ありません、きっと。)
これは少しSFじみた話ですが、実際に今でも物の価値観は大きく変わってきています。高価なはずだった物が安価で手に入るようになったり、逆に安価だったものに大きな価値がつくことも稀ではありません。
価値観にも多様性が見られるようになり、今のビジネスは大変です。(見方を変えれば無限にチャンスが広がっているという人も多いです)
デジタル化が進めばアナログなものに、大衆化が進めばパーソナルなものに価値が見いだされ、世間という言葉で語るのは難しくなってきています。
現在も同様に、なにを信じるかの時代だと思います。自分が価値を置くものを大事にして、選択する。周りの意見など意味を持たなくなっているのではないでしょうか。もはや周りの意見、というのもいわゆる少数派の意見である可能性だってあります。
IT化が進みより便利な世の中になっていきます。だからこそアナログな物を選択する人もでてくる。
流行はいったりきたりを繰り返し、昔の流行と比べ規模も小さくなっていくでしょう。
そのときに自分を信じるものを選択できなければ、時代に流されて人生が終わってしまうのではないでしょうか。