日常を捉える スポーツから社会へ

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教育による宗教化からの離脱

刑が執行されたことで、オウム真理教の記憶が再び世間を覆っていますね。死刑という処罰に対する賛否両論はありますが、ここでは置いておこうと思います。

 

宗教というテーマについて僕は素人ですが、人は誰しも何かに取り憑かれるように熱中することはよくあります。それがスポーツだったり、タレントやアイドルだったりと様々ですが、それも宗教的といえば宗教的な気がします。対象が人や物などで大きな違いがあるかもしれませんが、自分が神格化しているものから何か指示を受けたとき、実際に実行する人はどれぐらいいるでしょうか。

人間は誰しもそういった危うさをはらんでいるというのは、宗教に対する素人だからこその考え方なのでしょうか。

 

そういった宗教化から離れて物事を考えるには、一つの物事を多角的に捉えることが重要だと考えます。主観的だけでなく、客観的に、そしてその客観的も様々な面から捉えるということです。

そしてそれを可能にするのは、間違いなく教育の役目だと思います。

 

しかし今の教育はその役目に貢献し切れていない。

時代や子どもの変化のスピードについていけていない気がします。

現代は情報が氾濫して、生活が多様化して、人は常にネットと繋がっています。常に誰かに見られていて、そしてその姿を常に誰かに認めて欲しい。子どもはそういった自己肯定感を求めており、今までのように安定や地位は重要な要素ではなくなっているのではないでしょうか。

 

教育はその変化についていき、子どもの日常生活と繋がった指導をする必要があります。

それをせずに今までのように選択式のテストや暗記を強要していては、子どもはすぐに殻に閉じこもる。

 

まだ部活動などのように周りと実際に関わり合うようなものを神格化するのであれば社会的に問題は少ないかもしれません。(もちろん卒業後の仕事ややりたいことなどを考慮すると、スポーツをスポーツのことだけ考えて取り組み続けるのには反対です)

殻に閉じこもる方法によっては、後戻りできなくなる可能性もある。

 

これからの教育はどう進化できるでしょうか。

子どもは興味を持たないと、取り組まないでしょう。勉強して良い大学に入ることの意義が薄らいでいることは誰でも分かります。AO入試の定員が増え、より多様性のある人材を大学が求める時代も近いはずです。

そこについていかなければ高校の存在意義は、ただの青春ごっこに過ぎなくなります。(もちろんこれも重要な存在意義ではありますが、)

 

多様化する世界で、多角的に物事を捉える力がなければ、より何か一つの物事を宗教的に捉えのめり込んでいく人は増えていくと思います。

これからより重要になっていく教育の進化を望みます。