流行りの多様性という言葉
最近多様性って言葉が流行っている。いや流行っていると言うと感じが悪いけど、流行ってる。
僕は自分は、考え方の違いや障害の有無によって他人を判断したりしないし、多様性って言葉を使うなら、多様性がある。
と感じていた。
でもこの前スーパーのレジに並んで、店員さんが知的障害のある人だったとき、
違うレジに並べば良かった、と思っていた。そしてそんな自分を否定していた。
結局、もはや雑念の無い聖人ぐらいしか、全ての人を平等に受け入れるなんてできないと思う。
多様性なんて言葉は要はカッコつけているだけで、昔となにも変わってない。
昔から個性が大事とか、
大学で教職科目を選択していても、「個性を活かす教育をしましょう」とか、
その結果はまあ特に生まれていない。
その個性って言葉が多様性に変わっただけ。カッコつけだしただけだと僕は思ってる。
働き方がどうのこうのとか、徐々に生き方の選択肢が増えだしているのは間違いない。ただ同時に、多様性を認める感情が生まれているかというとどうだろう。
僕が多様性という言葉に近いのは、
いかに他人を認めるかということだと思う。どういう人を自分は評価するか。
その自分が評価する人、認める人を徐々に増やしていく作業が、多様性に繋がる。
初めからどんな人でも認めようよ、なんて無理な話だ。評価できない人は、徐々に知っていけばいいし、知っても評価できないならば無理に受け入れる必要もないと思う。
そしてその他人を評価する軸は自分で決めていけばいい。
まずは少ない項目でもいいし、増やせるなら増やせばいい。
僕は今、価値を生み出している人、幸福度の高い人は評価できると思っている。
ただこの幸福度というのは、主観的な判断になるし、難しい部分がある。
例えば障害のある人に対してだ。
多くの障害者が障害を乗り越え、幸せを感じているはずなのに、そのイメージが湧かない。
それは僕がそういう人と関わる機会があれば、しっかりと知っていく必要があると思う。