没頭する時代
昨日は小説をカフェで読むという優雅な日曜日を過ごした。そして、小説に没頭した。夢中になった。
そう、、西加奈子に!!
この小説はまだ読み終わっていないので、またの機会になにか書こうと思うけど、、
とにかく久しぶりに別の世界に入り込んだ気がした。夜も寝たくなかった。今日仕事がなかったら、、
そんな気持ちもあったから、なかなか夜寝つけなかったけど、今日はかなり目が覚めてた。それだけ別の世界に入り込むことは、自分をリフレッシュさせるんだと思う。
また、これからその没頭を作り出すコンテンツは増え続けていくはずだ。AIやVRの発達で、もう現実にないことを仮想体験できる。
メディアやスポーツの大会なんかにも、SNSなどを含めるとなにかしらの形で参加することができる。
これまではそうではなかった。
一人一人に寄り添ったコンテンツはなかった。
マスメディアは全体に働きかけ、だからこそ共通の話題を僕らは手にしたけど、没頭できるのはゲームか、たまのドラマぐらい。
後者は週に1時間と時間がかなり限られているし、友だちとの話のタネとして消化された後は、それはもう別の世界なんだと気づいてしまう。放送日になるとまた思い出し、入り込む。
前者は徹底的に悪者扱いされた。ゲームの時間は親に規制されたし、学校でも禁止された。
それでも没頭してるやつは、オタクと呼ばれ蔑まれた。
そんな時代ももう終わりだと思う。
いかに没頭できるか。世界を忘れられるか。それが現実世界での自分の活力になる。
だから仕事に没頭できる、という人はある意味最強だと思う。
ただ、逆にある意味では、天才かつ変態というか、一般的な幸せは手に入りにくいように思う。
仕事は楽しくて、成長したくて、でも壁に当たって悔しさ、苦しさを味わっていくぐらいがちょうどいい。
没頭なんかできてしまうと、もうプライベートが必要なくなる。
もちろん仕事もプライベートも分けて考えるのがおかしいと言う人もいるけど、それは三世代ぐらい先をいってる。いき過ぎてる。
いくら僕らが別の世界に没頭しても、したくても、一般的な幸せと呼ばれるものは現実世界で必要としている。
ここはバランスが難しいけど、この現実世界の一般的な幸せは、どれだけデジタルな時代になってもしばらく僕らにとって幸せだと思う。
仕事を楽しみ、そして苦しみ、他で没頭し、現実のプライベートも生きる。やること多いな、、
でも没頭できるコンテンツができるとそれは容易になると思う。
そういう意味では今の娯楽施設や、飲み屋なんかはしんどくなる気がする。
友だちと飲むことは確かにたのしいしリフレッシュになるけど、あくまで自分の体験をネタにして得られるものであり、仕事やプライベートを完全に忘れてリフレッシュするという訳にはいかない。
たまには馬鹿騒ぎもしたくなるけど。笑
ということで、西加奈子の続きを読みます。。