裸
「せんせぇー、中間の範囲ってどこまでだっけー?」
私の授業の最後のほうは、だいたいクラスは賑やかだ。賑やかというより、騒がしいが正しいか。
「一回言ったけどなー、58ページね。」
いっつも家庭科の授業は早く終わって、残りの時間は生徒の雑談タイムになる。
教師になって8年。
なんで教師になったんだっけ。
生徒は好きだ。可愛いし、愛おしい。
でも私は、自分が教師だという感覚がどうしても持てない。子どもの人格を形成したり、生きる力を養う。そんな大それたこと、考えることができない。
親が教師だったから、なんとなく教育学部に入った。そしたら周りはみんな教師になりたい人ばっかりで、いつのまにか自分も教師になるんだろうって勝手に思ってた。
「若井先生、相変わらずですね。」
私より23歳上の武田先生。目は細長く黒縁眼鏡。白髪混じりのショートカット。いつも地味な暗めなパンツスーツ。いかにも昭和の先生という感じ。
「私ぐらいの歳になったら、生徒に舐められて収拾つかなくなっちゃうからねぇ。」
分かってる。あなたが教師であること。私が教師でないこと。でも、なんだろう。
私は生徒を導いて、クラスをまとめるリーダーになって。そんな偉くないんだ。そんな、カッコよくないんだ。
昔から人前に出ることを避けてきた。
勉強も、運動も中の下。たぶん昔の担任からも覚えられてない。
大学に行くときも、祖母に、女として最低限と叩き込まれた家庭力を使ってなんとか家庭学科に入った。
なんの取り柄もない。なんの取り柄も。
そして自分の教える家庭科が、これから先今の子どもたちに絶対必要なこととも思えない。もう教科にすら自信がない。
ただ、生徒が好き。生徒に好かれたい。不純だ。私は不純な動機で仕事を続けてる。
「若井先生、ちょっといいですか⁇」
放課後すぐ、三年生の吉武さんに声をかけられた。なんだか昔の自分のように冴えない生徒。可もなく不可もない見た目というか(生徒のビジュアルを評価するなんて、と思うけど、これはよくしてしまう。)、授業中も目立たないし、あんまりしゃべったことないなー。
「いいよいいよ!どしたの?」
「そろそろ進路決めなきゃなんだけど、なんか決めれないんだー。」
それを私に聞くのか、、、この私に、、
「難しいよねー進路は。私だってまだモヤモヤしてるよ(笑)」
あっ。
「え!先生今も悩んでるの!?」
彼女のまっすぐな黒い目に、何を言っても許されるような気がする。
「うーん悩んでるというかさ。自分には大してやりたいことも、取り柄もないから。なにが正しいとかなにをしたいとか、答えがわからないっていうか。それは働き出してからもあるし、なくなることはない、かな。」
あー。
言ってしまった。
弱い。
私は教師じゃない。これじゃどっちが相談してんだか、
「へぇー、なんか意外。私も先生見てて教師にちょっと憧れてるんだ。」
恥ずかしそうに笑った彼女は、制服を着た彼女は、なによりも美しく見える。なのに。
なんで。なんで私になんか。
私のほうがきっとあなたに憧れてる。若くて、進路に迷えて、私に懐いてくれるあなたに。
私は、
私はどうなりたいんだ。
教師が教師という生き物じゃないと気づいたのはいつだったっけ。小学生のときは先生は先生だった。それ以外の何者でもない。従うべきリーダー。
でも次第に教師にも人間性が垣間見えた。好きな先生もいれば、嫌いな先生もできた。それは理屈じゃなくて、感覚的に。
私は、あなたにとって好きな先生になれたんだろう。いや、好きな人間に。
あなたが憧れたのは、教師の私なのか、私という人間なのか。
私は、子どもの進路に影響を与えていたんだ。こんな私が。
笑えよ、私。笑えよ。
自分が好きな生徒に好かれたんだから。
人生相談してくれたんだから。
笑え。泣くな。
なんの涙か分からない。
でも、何かが流れ落ちる。
自分の想いか、過去の自分か、
誰かの人生を決めるなんて、私にはできない。
いや、武田先生にだってできやしない。決めてあげたって、私みたいにずーっと悩んで生きている人だっている。そんな重い責任、誰も取れないんだ。
教師になれない。なれっこない。
でも、私は、生徒にとって、何かにはなってしまっている。私にとっての生徒のように。
先生と生徒じゃない。
私と生徒。
私と吉武さん。
そうやって、生きていくんだ。そうやって、繋がっていくんだ。