日常を捉える スポーツから社会へ

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悔しさ、絶望感はどこからくるのか

部活してたときは、

そこで誰かより評価されなかったり、負けたり、チームがうまく回らないときに

泣きそうなぐらい悔しかったり、ほんとに身体の力が抜けるような絶望感を味わったりとかよくした。というか、泣いた。

 

でも今のサラリーマンとしての仕事は、今のところそれがない。

 

それはすごい楽だし、毎日あっさり過ぎてくけど、自分でもなにかを求めてるのはよく分かる。

 

あのときの悔しさとか、絶望感はどっからきてたんだろう。

 

やっぱり熱量と捉えることもできる。

でも逆に、それしかなかったからと捉えることもできる。

部活の生活が中心で、それは部活でしか解決できないからそれだけ落ち込んだりしたのかもしれない。

 

今は中途半端に色んな情報を得られるから、

仕事をずっと続けるわけじゃないし色んな知識を得ておきたいなとか、色んな考え方をできるようになっておきたいなとか。

そんな考えが根底にあるから、泣くほどの気持ちにはならないのかもしれないなーと最近思う。

 

あのとき、

こうやっていつか部活は終わるし、色んな考え方をしておこうとか、

そういう気持ちがあったらどんな感情で、熱量で取り組んでいたんだろう。

 

楽になることと苦しむことはなんか紙一重な気がする。

時間的にも精神的にも楽だと、日々は流れていくけど、どこかふと自分について考える余裕が生まれて、日々の生活が正しいのか苦しむことにもなる。

逆に一つのことに熱量を注ぐと、そこの挫折や失敗で苦しむことも多いけど、まあ熱中してるから変な迷いなんかはないし楽かも。

 

僕は学生時代後者しか経験できなくて、その反動で今前者の経験を味わっている気がする。

インフルエンサーからなにを学べるか

最近SNSのおかげで、簡単にインフルエンサー的な人たちのお言葉を頂戴できるようになった。

インフルエンサーというか、彼らにそんなつもりは毛頭ないかもしれないけど、その道を追求することやその過程で、そのような影響力を持った人のことをここでは指している。

 

僕も最近SNSでそういう人たちの情報を積極的にインプットしようとしているけど、

どうも残念なことに

頭が追いつかない部分が多過ぎる、気がする。笑

 

最近では落合陽一を筆頭に大きく取り上げられるようにもなったけど、

彼の言葉の半分も理解していないというか、そもそももう理解しようとしていないんじゃないかな笑

 

だから頭に残るのは興味のある内容か、またはメンタルや行動の過程の部分。

それで十分といえば十分な気もする。

でも結局僕はそこで頭に残ったインフルエンスされた部分を、より稚拙な説明でブログやツイッターに残す。

なんか、それって意味あんのかな。と最近思ってしまう。

自己満足というか、自分が意識高くいろいろ吸収しようとしていると周りにアピールしてるだけのような、

実際半分も確実に理解できてないのにね。。笑

 

そしてそこでいろんな情報を仕入れることができても、多くの人は実生活でなにもできない。

僕はそうだ。

社会の枠組みに収まりきって、仕入れた情報をなにに、どう活かせるかも頭の中をグルグル回って答えが出せない。

 

堀江さんの多動力というのはよく言ったもので、圧倒的にリスクの少ないネット上でしか活動できないわけだ。

 

もちろんこういう活動はしないよりした方が良いのかもしれない。

でも、なんだか、噛み砕けていないというか、消化できていない。

 

だからたぶんこのブログも、歯切れが悪い。。

 

noteのブログで僕は自分の過去を大雑把に振り返っているが、

そっちはかなりスラスラ書ける。もちろん原体験だから。

そういう原体験的なものに根ざして活動したり主張できたりしている人は、そりゃ強いよなーと改めて思う。

 

今の時代を引っ張るインフルエンサーたち。ただ彼らの伝承者になっては意味がないと思う。今どき伝承しなくても、自分で世界に拡散できるしね。

 

いかに自分の原体験と結びつけて、自分を自分自身でインフルエンスできるか。すっごい難しい。でも、できたら本当に楽しいと思う。

ララランド 鑑賞

ブログの更新頻度を上げていこうと思いつつも、

書くことが思いつかん!!

noteのほうでは自分の過去の遍歴を書き始めたんだけど、これはスラスラ書ける、、

でも日常を書くのは難しい、

それだけぼんやり生きてるんだなぁと実感する、

あとなんか、ですます調は書きにくいと分かったので、一旦やめてみます。笑

 

今日はララランドを観た。今更だけど、

Amazonプライム・ビデオ!他の有料なものと比べると圧倒的お得感があるのはなんでだろう。

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グレイテスト・ショーマンを映画館で観てから、少しミュージカル映画に興味を持ち出した。あの歌のときに鳥肌が立つ感じね、なんとも言えない良さだと思う。

代わりにストーリー的には薄い感じもするけど、伝えたい内容がスッと入ってくるから映画通でなくとも分かりやすい。

 

このララランドも、

良いですねぇー、、、

グレイテスト・ショーマンを観て、割とストレートな結末だっただけに、

最後の結末は少し泣きそうに、、(なんか最近涙腺がゆるい)

 

ただやっぱり、ミュージカルは共通の言語として真ん中にどっしりと歌を一曲置いてくれる。それが映画にとっても視聴者にとっても拠り所になってる感じがして、感情移入しやすいというか。

登場人物の妄想的な部分や、イメージを膨らませたものがSF的な形でも入っていて、、まあそれは共感できるできないはあると思うけど、

 

そして劇中の「一生愛してる」という言葉。。泣きそうだ。

結末がどうであれ、永遠にリスペクトして、心の拠り所となって、互いに高め合う存在になるんだろうと思う。

 

そういう意味では実生活でも、

どれだけリスペクトできる人間を近くに置いておくか、というのは大事なことだと思う。もちろん恋愛でも、仕事でも。

SNSなんかで、どんなに大物であろうと繋がることはできるようになった。(あくまで一方的なことも多いけれど)

ただその存在が遠いと、あくまで自分のリスペクトの対象になるだけ。キッカケにはなるが、拠り所にはならないし、高め合うこともできない。

 

自分が行動を起こして、巻き込み、リスペクトできる人間と出会うことは、どんな分野においてもより自分をより充実したものにすると再確認できた映画となりました。(あれ、なんかですます調のほうが書きやすくなってきた、、)

本田圭佑 カンボジア監督に

本田圭佑選手が、カンボジアの実質的監督に就任したと報道されました。https://twitter.com/nikkei/status/1028567768411471875?s=21

 

現役選手が代表監督て、なんだそれ聞いたことねーー(笑)

そして面白い。

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僕はサッカーの選手、指導者として活動していました。(もちろんプロではありませんので、批評できる立場にはありません。)

正直選手にも色んなタイプがいて、身体やプレーの能力で乗り切る選手もいれば、俯瞰的に試合を捉えてゲームメイクする選手もいる。同じチームで同じような評価を受けていても、サッカーI.Qは人によって全然違ったりします。

彼がどういう考えの選手なのかは分かりませんが、少なからず監督の立場になるということは自分のサッカーI.Qに自信があるのでしょう。

もちろんI.Qが高くても統率力やコミュニケーション能力が低ければ辛いですが、たぶん本田選手にそこは問題ないでしょうし

 

そして指導の経験は

選手としての飛躍にも繋がるはずです。

もちろんトッププロの選手なので、選手としての活動だけでも、自他の選手やチームの分析、戦術的思考は繰り返しているとは思います。

しかし自分が指導者としてチームのことを考えるとき、その分析や思考の幅は確実に広がる。

彼自身の能力向上はもちろん、ピッチでの彼の存在感はより大きくなると思います。

そういう意味で、彼が加入するメルボルン・ビクトリーにとってもありがたいのではないでしょうか。

 

指導者として活動することで、選手として活躍できなかった時に批判するのはナンセンスだと思います。もちろん選手としてのトレーニングが疎かになっていれば当然の批判ですが、本田選手にはその心配はない。それだけの信頼感やリスペクトが、彼のこれまでの実績にはあります。

 

仮に一つ不安を挙げるとすれば(無理に挙げるとすればですが、)選手としての個性が薄まらないかということ。

チームを考えだすと、より俯瞰的に試合を動かすようになります。

ここぞの局面で彼の強いメンタリティやフィジカル、シュートというものが後回しにならないかどうか。

 

まあもちろんこの不安は期待の何百分の1程度でしかありませんが!!

 

とにかく前代未聞の人選。

本田選手だからこそ切り開かれたと思います。

また時間的、身体的、もちろん精神的にも問題なければ、選手と指導者の二足のわらじというのは面白いと思います。

僕もサッカーの指導を始めてからサッカーに対する思考が変わったところも多いです。あの経験が選手時代にできたらなぁ、と感じたこともあります。

 

中村俊輔選手など、現役選手が指導者ライセンスをある程度取得しているというのはあるみたいですが、実績に責任を持ちながら指導し、結果を求めるのはまた違う。

よりスポーツ選手の幅が広がりましたね。楽しみです。

嵯峨嵐山と鵜飼見物

こんばんは🌇

お盆休みということで、嵯峨嵐山にやってきました。the 観光地ということもあり、ただ単に風情を味わうということは難しいですが、まあたまにはこういうところもいいですね。

今は歴史があって観光地として売り出していってるとこは、もう全部ここみたいに観光地感が出過ぎて逆に風情が失われている感もあるのかもしれません。

外国とかも僕らには気づかないけど、現地の人からしたら違和感があるのかもしれませんね。

 

そしてここで美味しい晩御飯を旅館で食べた後は、、、

鵜飼!!を見物!

f:id:naokingdayo:20180811232932j:imageいやわからねえ、、暗、。この赤いのが鵜を繋いでるロープです、。

鵜、かわいいなぁ。

感想小学生か、、

活かせるものは活かすというか、今なら間違いなく機械やAIでと考えるような作業も、昔はこういう考え方で効率化測ってたんですね。これが効率的とは言い難いですが、なにかを生み出すことでこういった観光業的な違う形で残ることもある。

今発明されたりしてるものを、数十年後どんな形で残ってるか想像できないですね。

マニュアル車の運転できる人とか、なんかもう伝統ある運転手とかになってそう

そしてこういう船に始めて乗りました。エンジンがなく、川面にかなり近い感じ。

船の揺れの感じ方とか、風の感じ方とか。大きな船と違ってよりリアルでいいです。夜の暗さとのマッチも良い。

 

そしてその後は旅館に戻り、

タブレットSNS見たり、ブログ見たり、ネット見たり、

なんだこれいつもと変わらん!!!

 

結局どこ行っても今の時代、

ネット環境さえあればたいして生活は変わらないということでしょうか。

結局いつもしてることが一番落ち着いて、

観光するにしても

あ、これインスタ上げようとか、ブログのネタにしようとか。

観光のための観光というより、ネットのための観光というか、ネット中心の生活。だからなにしててもどこ行っても基本変わらない。

それが心地良さを作ってる部分もあるし、それが観光地のどことなく風情がない感じに繋がってる感じもするし。

僕は今のネット環境には浸かり切ってるので、違和感はないですけど。

 

おまえ鵜飼しかないんかい、って言われそうですが、

後はもう王道の京都観光地という感じです。笑

まだたいした観光はしてないので、また明日楽しみます。

 

みなさんもお盆休み楽しんでくださいー

 

 

 

すごいシンプルになってきた気がする世の中

さっきバラエティをふと見て思ったんですけど、

最近話題になる芸人のネタってめちゃくちゃシンプルだなぁ、と。ひょっこりはんとか、アキラ100%とか、すげえシンプル。

少し前のシュールとか、作り込まれたネタでブレイクするのってほんのたまにで、ほんの僅かになったと思います。

 

それはビジネスでも似てる気がして、

めんどくさいから全部機械にやってほしいとか、スマホに慣れ親しんだ人が金や物のやり取りもスマホで完結させてほしいって思うことも、仕事嫌だし旅して暮らしたいとかも、すごいシンプルな発想。誰もが一瞬、心の片隅でふと思い浮かんだことがあるような、ないような内容。

 

僕も含めて多くの人は中途半端に賢くなって、中途半端に頭固くなってるから、そんなシンプルに考えれない。芸人は常にそういう環境に身を置いて考えまくってるだろうから、少し別かもしれないですが。

もちろんシンプルな発想から、実行のフェーズに移ると頭の中はすごい複雑に回転しまくってるんでしょうけど、

 

それと同時に物事を深く鋭く捉えられる人の重要性も増してると思います。いわゆる評論家と呼ばれる人とか。

シンプルな物に対して、深い視点から正当性を与えたり、逆に中途半端な賢さに対して深みを与えたり。

すごいシンプルな人と、すごい思考に深みのある人。分かりやすくなってきてるなと思います。

 

もう僕らはカチカチ頭になったんで、

できることは過去の自分を批判できる勇気をまずは持つことだと思います。

 

例えば体罰を受けたことがある人がよく言うのは、

体罰を推奨はしないけど、自分はあの教えがあったから人として成長できた。とか。

やむを得ないときは体罰も仕方ない。とか。

 

そりゃ変わるものを変わらないよなと思います。

シンプルに考えたら

体罰?ダメでしょ。

正直それで議論は終わると思います。

 

どんな経験をしてきても、そこに出会いがあったり積み重ねがあったり、いわゆる今の自分を形作ったものが詰まってます。

だから全批判や全否定は少し難しい。

 

でも正直一時的にでもこれができないと、シンプルな、あるいは思考に深みのある人には近づかないと思います。

どこかに自分の経験を肯定する気があると、シンプルな人と出会っても

すごいなぁ。そんな生き方もあるのか。でもそれ10年後大丈夫なの⁇

そんな感じで終わってしまう。

 

幼稚園の先生も、あれだけシンプルな生き物と接し続けているけどシンプルな思考回路を持つわけじゃないですしね。(どれだけ自分の過去を否定しても、幼稚園児に影響を受けるような人はいないと思いますが、、)

 

自分の過去を否定して、シンプルさや深みに触れたあと、

そこから自分の過去と今得た経験をミックスしたり、是非を判断していくことが重要ではないでしょうか。

 

クラウドファンディング 差し戻し!!

こんばんは。

思いついたことを実行に移すために、昨日クラウドファンディングを申請していました。

 

大まかな内容は

・学校教育を壊すをテーマに、学生時代に起業した方をインタビューして雑誌を作り、自費出版して高校生に無料配布+講演を行う。学外の世界に触れ興味を持つきっかけを作ることで、現在の知識詰め込みである学校教育の存在意義を薄め、より多様な生き方を牽引していくことに繋げる。インタビュー、講演可能な人や学校は未定。

 

というもの。

 

しかし結果は、申請却下!!!差し戻しとなりました。。。

理由としては

・学校批判的な内容を出版できるかどうか

・未定の部分により、リターンとして使う雑誌の出版時期が分からない。(そのためリターンの実行時期をかなり遅く設定していました。)

 

うーん、、間違いない、、、

 

細かい部分の設定がないため、

実行に現実性が見えにくくなっている気がします。

勝手に「学校教育を壊す」というテーマを面白く感じていましたが、掲載すらされず撃沈、、、

 

f:id:naokingdayo:20180809204440j:imageちょっとテーマでつけた写真もダサ過ぎたかもしれません、、、。↑

 

 

そう考えると実際にクラウドファンディングで資金集めを達成した人や、

起業などによりアイデアを形にして実行している人はさすがだなとしみじみ感じます。自分は掲載にも届きませんでしたから、。。

 

ただ申請したからこそ計画が不明瞭だということはわかりました。自分の思いついたことを言葉にした点、不明瞭さを理解した点、強引にプラスに捉えるとそんな感じでしょうか。。

 

この前書いた高校生や教員に対するインターンシップも、テーマは同じ。学校教育を壊すというもの。

外部からの刺激でしか動かないものを、動かしたい・壊したい、教育というものの影響力を薄めて自分で考える子どもを生み出す、というがテーマでした。

 

これはこれまでの経験からも、自分の核的な一部だと感じています。

インターンシップというシステムを作るのには企業力が必要なため、クラウドファンディングにより個人でできそうな案をだしてみましたが、

 

同じような内容でなくとも、

自分の核を実行に移せるように、また核に影響を与えるようなものと出会えるように、案を見直していこうと思います。