BABY BABY
8年ぶりに彼女に会った。
なんて話そうか、あんなに考えてきたのに、彼女を目の前にすると真っ白になった。
穏やかな顔。はっきりと残る高校生のときの面影。
そんなはずないのに。彼女が、こんな顔できるないのに。もう僕には昔の記憶を辿ることしかできない。
僕らは付き合っていた。
高校2年の夏から、高校を卒業するまで。
いつ好きになったなんてもう覚えてないけど、いつのまにか彼女を目で追っていて、夏休みの文化祭準備のときに人生で初めての告白をした。
「つ、付き合ってくれへん?」
カタコトでそう言うと、彼女は顔をくしゃっとして笑った。
毎日一緒に帰ってた。学校の最寄り駅までは歩いて十分ぐらい。そこからはもう逆方面だったから、毎日一緒にいるのはそれだけ。週末もお互いに部活があって、しっかりデートしたのは何回だったろう。でもその10分。それだけで良かった。彼女と手を繋ぐと全ての不安が無くなった。彼女と唇を合わせると、彼女の全てが分かるような気がした。
どこかでセックスすることを期待している今とは大違いだ。純粋な、まっすぐな恋だったと思う。本当に、彼女は自分の一部のようだった。
部活仲間から一緒に帰っていることをからかわれても、あんなにシャイな僕が気にならなかった。
「ゆうたはさ、なんか夢とかあるん?」
高校3年のある日の帰り道。暑くて、手は繋いでいなかった。前を向いて歩きながら、何事もないように彼女は聞いた。
「ん、夢?考えたこともないなー。なにしたいんやろ。なんか普通にサラリーマンとかになってそうやな。加奈はあるん?」
夢なんて考えたこともない。このまま毎日を積み重ねてたら大学生になって、サラリーマンになって、結婚して、子どもができるんだろう。彼女といられるという今の日常があれば、先のことは先でいい。
「うち、役者なりたいねんなー」
うねるような暑さのなか、セミの声がしている。
いつもの帰り道なのに、どこか遠い世界に来たみたいだ。でも、恥ずかしさを隠そうとした彼女のくしゃっとした笑顔は、そのままだった。
好きな舞台の話をいつまでもする彼女の横顔を、今思い出した。
卒業式の日に、彼女と別れた。
東京の俳優養成スクールに通うという彼女は、地元の大学に通って近くで就職するだろう僕から、遠い存在になってしまった。
最後の帰り道。最後の待ち合わせ。お互いにそんなに人気者でもなかったから、後輩に囲まれることもなく2人になれた。
「別れよか、、。」
学校から離れた公園。冬の寒さが残るこの時期に、僕ら以外誰もいない。
「うん、、分かってる。」
分かってる、、、分かってる、か。
下を向いた彼女の表情は、見えない。
「うちさ、ほんまに、ゆうたのこと好きやった。ほんまに。」
何かが心のなかで、音を立てたような気がした。
「いや、おれも。たぶん死ぬまで好きやと思う。」
「なにそれ、急にロマンチストやん。でも、ありがとう。」
BABY BABY
BABY BABY
君を抱きしめていたい
何もかもが輝いて 手を振って
BABY BABY
BABY BABY
抱きしめてくれ
かけがえのない愛しい人よ
永遠に生きられるだろうか
永遠に君のために
帰り道、ロックな曲調の歌詞が頭から離れなかった。涙が、止まらなかった。
それから彼女とは一度も会わなかった。
成人式のときの集まりにも、彼女は来なかった。
「なんか加奈、急に舞台の仕事入ったらしいねん!」
東京の大学に通って、彼女と家が近いというクラスメイトの声が聞こえた。
「ゆうたすげーなー!有名人の元カレやん!」
「はは、なんやねんそれ。」
何だろう。彼女はそんな人じゃないのに。いつだって僕の隣で、くしゃっとした笑顔を見せてくれる穏やかな子。そんな、みんなの前で注目される彼女は想像できなかった。
もう会わない。もう違う世界にいる。なのに、誰と付き合っても彼女はなかなか消えてくれなかった。
それからは徐々に彼女の噂を聞かなくなった。僕もすっかり彼女の存在しない世界に慣れていた。
彼女が死んだと聞いたのは、突然だった。
あのクラスメイトがみんなに伝えた。
彼女のいない世界。彼女が死ぬことで、なんでだろう、その世界が壊れた。
式にでると、事務所に入れなくて仕事がなかったとか、自分で企画した舞台に客が入らず借金を背負っていたとか、急に思い出したように彼女の話題が駆け巡った。
誰がそういう話をしているのかは分かる。
彼女は穏やかな顔をしていた。そんなはずないのに。苦しんだはずなのに。
彼女は僕のことを覚えていてくれたんだろうか。死ぬまで好きと言った僕。彼女のいない世界に生きた僕。そして、彼女を思い出してしまった僕。どれが正しいんだろう。あの時のあの公園に戻れたら、僕はどうするんだろう。
何かに無性にイライラした。悲しいのか、怒っているのか分からない。
「お前さ、あんまりこういう場でそういう話ばっかすんなよ」
式が終わって同級生が少し集まっている場で、僕はクラスメイトに語気を強めてこう言っていた。
きょとんとした顔が、また腹立たしかった。
「みんな加奈のこと知りたいやん。頑張ってたしあの子。」
「うっとしいねん、それ。加奈が舞台するときとかこういうときだけ盛り上がって、普段は興味ないくせに」
なんだこの気持ち。誰に怒ってるんだ。
「あんたは、なんかしたん。加奈最後に会った時もあんたがどうしてるか聞いてきたで。加奈にあんたはなんかしてあげたん。」
鳥肌が立った。
涙が溢れた。
彼女のいない世界。
僕は、なんであの世界を生きたんだっけ。いや、今までの世界から彼女が去ってしまったと思っていた。彼女の世界には、僕はいたのか。ずっと。
このクラスメイトの代わりに、僕が隣にいることだってできた。
親を説得して東京の大学に入る。それだけだった。
彼女のいない世界は、終わった。もう戻れない。あの世界を作ったのは僕だ。もう戻れない。
街はイルミネーション
君はイリュージョン
天使のような微笑み
君を思い出せば
胸が苦しくて
消えて失くなりそうだ
またあの曲が、頭から離れない。涙が、止まらなかった。