感動という売り物
今日は甲子園決勝。
でもなんか、スポーツはほとんど観なくなってしまった。今回の甲子園も。今日も観れないだろうなー。
興味のあるサッカーしか観ないから、僕はスポーツが好きということではないのかもしれない。
他のスポーツを観てると、
長い、、時間経つ、、
こんな邪な気持ちが生まれる、くそう、
もちろんサッカー好きじゃない人からしたらサッカーこそそうなんだろう。
でも逆転サヨナラとか、そういうドラマチックな試合はその瞬間を観たいし、高校生の感動シーンは観たい。
要はスポーツを観たいというより、その感動シーンに興味があるんだと思う。
1試合よりも、甲子園のまとめ動画が観たいし。
高校スポーツはそこを売り物にしてるし、(純粋なファンの方すいません、)人を惹きつけるんだと思う。
もちろんプロスポーツになるとその感動の種類は多少変化するかもしれない。御涙頂戴というより、国やチームへの誇りとか、そういう要素も大きくなる。
そういう意味で今回のバスケ代表は叩かれる。
僕はあくまで彼らはスポーツ選手だから、犯罪を犯しているかいないかがポイントになるだけだと思うけど、
でも買春してる人に感動もらえないじゃん、と。感動シーンでも君らのバックグラウンドに買春よぎったら感動半減するじゃん。
特にスポーツのように物ではなく魅せる商売になったらなおさら。いかに観客の感情を揺さぶれるかが商売道具になる。
勝つからファンがつくとか、負けるからファンが逃げるとかいう単純なことではない。
そりゃ観客が身近な人とか、距離感の近い人のほうが感情は動くから、スポーツチームは地域貢献なんかにも精を出さないといけなくなる。
もちろん学生はスポーツが仕事ではないから置いといて、
スポーツ選手は、自分たちは何を売り物にしているかを考えないといけない。
セールスマンは物を売るから、感動という売り物はあくまでもプラスα。まあそこで成績に差がつくんだけど、
スポーツマンは感動を売る。自分たちの戦績やパフォーマンスはそのための道具、プラスα。セールスマンとは逆だ。彼らは感動を売るために日々練習してると捉えたほうがいい。仕事だからね。
ロナウジーニョなんかがしてたトリッキーなプレー。あんなの僕の高校の部活でやって相手に奪われでもしたら、ブチギレられました、、
でも彼は、それにより感動を与え、売った。
各スポーツ選手はなににより感動を売るのか。ファンタスティックなプレーか、真摯なプレーや振る舞いか、はたまたピッチ外の紳士な振る舞いか。
サッカーの本田圭佑のように、その売り物の幅はどんどん広がってると思います。