楽しいは結果論
最近フリーランスになろうとか、自由に生きようとか、
はたまた1ヶ月で収入〜円!とか。色んな肩書きや誘い文句の言葉を浴びるように見る。
いやもちろん魅力的な部分もあるけど、
たぶんこの人たちも、楽しく生きているという一言では片付けられないと思う。
どんなことも続けて技術が上がったり、ましてやお金が発生した時点でシンプルなものではなくなる。
ブログを書くことも、初めは思っていることを吐き出す場だったというのがアクセス数ばっかり気にしだしたり、(僕ははじめからアクセス数は気にしてたけど)
スポーツだってそう。初めは楽しいという当たり前の動機付けだけだけど、勝つためにとか、より評価されるためにとか、モテるためにとか(ここまで完全な外発的動機はないかもしれかいが、)、感情や動機付けは複雑になっていく。
それでも
仕事は楽しいとか、
人生が充実していると言えるのは、
初めの動機付けと、続けるという結果に集約される。
どんな苦しいことでも、始めたきっかけが「楽しい」であれば、振り返ったとき楽しかった経験として処理される可能性は高い。
楽しいから始めた、楽しいから続けてるという感覚が体に染み付いているから。
あとは続けるということ。これは部活とかに圧倒的に言える。
競技レベルが上がったら、ホントに上手いやつ以外は苦しい経験のほうが多くなっていく。僕も個人的な経験だけど、苦しいことのほうが格段に多かった。
でも振り返ると、楽しい。楽しかった。
もちろん途中で辞める決断をした人たちの意見はあんまり聞いたことないし、辞めても楽しかったと言う人も多いかもしれない。
ただあれだけ苦しかったことを楽しいで覆いかぶせるのは、終わりがあるものを終わりまで続けたからだと思う。
楽しいというのは結果論だと思う。そして同時に初めの感情が、最後まで心の芯にこびりついているのも事実。
楽しく始め最後まで続けたものは、途中どれだけ苦しくても楽しい。
過程でどんなに苦しくても楽しいが勝る人もいるかもしれないけど、過程が苦しくてもとにかく楽しいで始めて、楽しいで終わることが大事なんだと思う。