悔しさ、絶望感はどこからくるのか
部活してたときは、
そこで誰かより評価されなかったり、負けたり、チームがうまく回らないときに
泣きそうなぐらい悔しかったり、ほんとに身体の力が抜けるような絶望感を味わったりとかよくした。というか、泣いた。
でも今のサラリーマンとしての仕事は、今のところそれがない。
それはすごい楽だし、毎日あっさり過ぎてくけど、自分でもなにかを求めてるのはよく分かる。
あのときの悔しさとか、絶望感はどっからきてたんだろう。
やっぱり熱量と捉えることもできる。
でも逆に、それしかなかったからと捉えることもできる。
部活の生活が中心で、それは部活でしか解決できないからそれだけ落ち込んだりしたのかもしれない。
今は中途半端に色んな情報を得られるから、
仕事をずっと続けるわけじゃないし色んな知識を得ておきたいなとか、色んな考え方をできるようになっておきたいなとか。
そんな考えが根底にあるから、泣くほどの気持ちにはならないのかもしれないなーと最近思う。
あのとき、
こうやっていつか部活は終わるし、色んな考え方をしておこうとか、
そういう気持ちがあったらどんな感情で、熱量で取り組んでいたんだろう。
楽になることと苦しむことはなんか紙一重な気がする。
時間的にも精神的にも楽だと、日々は流れていくけど、どこかふと自分について考える余裕が生まれて、日々の生活が正しいのか苦しむことにもなる。
逆に一つのことに熱量を注ぐと、そこの挫折や失敗で苦しむことも多いけど、まあ熱中してるから変な迷いなんかはないし楽かも。
僕は学生時代後者しか経験できなくて、その反動で今前者の経験を味わっている気がする。